サムライ精神で今を賢く生きよう! 〜「葉隠」に学ぶ人生訓〜

WBCにおけるサムライ・ジャパンの活躍ぶりには熱く燃えた。日本人で良かった!と心から感動した人も多かったことだろう。
それにしてもここ数年、サムライ魂といったセリフをよく耳にする。ラストサムライなんていう映画もあった。
今年あたりは、そろそろ本気でサムライ魂、武士道といった精神の本質を見直すべき時期なのかもしれない。

 
武士道といふは、死ぬ事と見付けたり。

 「武士道といふは、死ぬ事と見付けたり。」・・・誰しも一度は耳にしたことがあるフレーズだろう。これは「葉隠(はがくれ)」に記されている一節である。

 葉隠は、江戸時代中期に、佐賀藩士だった山本常朝という人物の言葉を筆記したものだ。正式には「葉隠聞書」と題された書物であるが、この記録が始まったのが、1710年(宝永7年)というから、もう300年近く前の事になる。

 藩士に向けた教育のための記録書であり、いわゆる武士道を説いた内容になっているため、「死」に対する心掛けなど、現代の私たちには少々理解し難い部分もある。中でも最も有名なのが冒頭の「武士道といふは、死ぬ事と見付けたり。」なのだが、戦時中に葉隠が政治的に利用されたこともあり、おそらく現代の日本人の多くは、これを“死の決断をすることの美徳さ”と理解しているのではないだろうか。

 しかし、この一文は決して死を美化するものではないようだ。死ぬか生きるかの決断を下さなければならない時は迷わず死ぬ方を選べ、という意味ではあるものの、そうすれば生き恥をかくような事にはならないというのが結論だ。もちろん現代人が死を選ぶことは出来ないが、それくらいの覚悟で必死に物事に対処してみろ、という意味に置き換えることは可能だ。

 ところが、その他にも葉隠に書かれている多くの事が、今でも全くそのまま通用するものばかりであることに感心させられる。

 例えば、こんな記述がある。

人間一生誠にわずかの事なり。好いた事をして暮らすべきなり。夢の間の世の中に、すかぬ事ばかりして苦を見て暮らすは愚かなる事なり。

 人間なんてあっという間に歳をとって死んでしまうんだから、好きなことをして生きていかないと損ですよ、ということを300年も前の人が言っているのを見ると、人間の考えていることは昔と全然変わらないなと痛感させられる。

 他にも、現代に通じる様々な教訓が連ねられている。

大酒にて後れを取りたる人数多(あまた)なり。別して残念の事なり。先ず我が丈け分をよく覚えその上は飲まぬ様にありたきなり

 酒に飲まれて失敗しないよう、わきまえて飲め!ということ。今と何にも変わらない。

人中にて欠伸仕り候事、不嗜なる事にて候

 人前であくびをするのはカッコ悪いというのは、昔も同じだったらしい。

翌日の事は、前晩よりそれぞれ案じ、書きつけ置かれ候。これも諸事人より先にはかるべき心得なり

 明日やるべき事は前の晩からきちんと準備しておくのがデキる男の条件であるという理屈は、今のビジネス現場でも通用する。

 これらは、とにかく今のビジネスマナーのノウハウ本にもそっくりそのまま書かれているようなことばかりだ。

今の世を、百年も以前のよき風に成したくても成らざる事なり。されば、その時代時代にて、よき様にするが肝要なり

 100年前の良き時代と同じようにしたいなどと考えても始まらない。その時代ごとにうまく順応して、努力していきなさい、というような意味だ。これなぞは耳が痛くなるような言葉であるが、その頃から人々は「昔は良かった」という感覚をすでに持っていたのだ。

 そして、特に驚かされるのは次の2つの文章である。

今時の奉公人を見るに、いかう低い眼の着け所なり。スリの目遣ひの様なり。大かた身のための欲得か、利発だてか、又は少し魂の落ち着きたる様なれば、身構えをするばかりなり

 この一節は、今時の奉公人(現代でいえばサラリーマンだ)は全く持って志が低い。スリがあたりに目配りしているようだ。ほとんどが自分の欲得だけ考えているやつか、小賢しいやつか、あるいは少し落ち着きを持ったやつでもカッコばかりつけている、とそんな内容だ。何度も言うけれど、これを300年前の人が言っているのだ。

 そして極めつけはこれ。

さては世が末になり、男の気おとろへ、女同前になり候事と存じ候。・・・口のさきの上手にて物をすまし、少しも骨々とある事はよけて通り候。若き衆心得有りたき事なり

 要は、最近の男は気力がおとろえて、女みたいになってきた。口先だけでうまく物事を片付け、ちょっとでも苦労しそうなことは避けて通る。若者にはこのあたりをもう少し考えてもらいたいモノだ・・・と。

 どうだろう?現代でも男性が女性化してきたなどと嘆いている中高年が多いが、これと同じ感覚をすでに江戸中期の人が持っていたとは。いつの時代も人間なんてさほど変わらないことが伺われる一節と言えよう。

 葉隠を読むと、随所に、毎朝起きてから寝るまでの間、とにかく必死で生きろというメッセージが散りばめられている。三島由紀夫が自決の3年前に著した「葉隠入門」は、山本常朝の考える哲学を分析、解説した作品で、その哲学的観点から読み方を説いている。ちなみに三島によると、葉隠という題名の由来もいくつかあるようだが、“元来蔭の奉公を主にした自己犠牲を本意にしたものであるから、それを葉隠の草庵で語りつ、聞きうつした聞書きであるという意味で”葉隠と題した、というあたりが一番もっともらしく聞こえる。

 最近は有能なビジネスマンを目指すための書籍などが数多く出版されているが、あえてグローバル時代の21世紀に、日本の武士道を説いた男子のための行動の指針書である「葉隠」を一読してみるのもよいのではないだろうか。

 人間若いうちから出世などしなくてよい。50歳くらいになってからカタチになるくらいで丁度よいのだ、という次の一文に励まされる人も少なくないのではなかろうか。

 
若き内に立身して御用に立つは、のうぢなきものなり。発明の生まれつきにても、器量熟せず、人も請け取らぬなり。五十ばかりより、そろそろ仕上げたるがよきなり

文:船見厚宏 イラスト:松端秀明