ぶんかびとレポート

足元に屋根?こんな橋見たことない!名勝猿橋

江戸時代からの名スポット

 東京の日本橋から新宿を抜け、甲斐国(山梨)に抜ける甲州街道。 その甲州街道大月の少し手前、桂川に架かる猿橋は、江戸時代には重要なポイントであり、既にその頃から名所であったという。

 奈良時代に猿の群れが自分たちの身体をお互いに支え合って橋を造り、河を渡ったのを見て作られたという伝説のある橋で、その起源ははっきりしていない。 とにかく古いことは確かで、戦国時代には甲斐国を治めた武田氏と、足利氏や北条氏との合戦の場(猿橋の戦い)となったことでも知られ、敵の進行を防ぐために焼き落としたこともあったそうな。 その頃は、名所というよりは戦術的な要所だったのだろう。 その後、江戸時代には甲州街道として使われ、多くの人々が行き交った橋である。 当時から、美しい景観には人気があり、多くの文人がその美しさを歌に詠み、世界的に有名な風景浮世絵師の歌川広重は、その風景の美しさに感動し「甲陽猿橋之図」という錦絵の作品を残している。 そんな昔からの人気スポットの橋が、何度も架け替えているとは言え、現存するということで(しかもあんまり遠くないので)レポートすることにした。

高い!切り立った谷に掛かる猿橋

 JR中央線、新宿から中央特快大月行きに乗って揺られること約1時間半。 猿橋駅に到着。中央特快なら乗り換え無しで行くことができるので、まぁ手軽ではある。 駅名が「猿橋」ということで期待が高まり電車を降りると、駅構内に既に「名勝猿橋」の文字が至る所に・・・駅を出て甲州街道を東に15分くらい歩くと猿橋に到着した。

名勝!猿橋。確かに江戸時代の風景を思い浮かべそうな「いい感じ」の橋だ。

 早速渡ってみると、これは・・・高い! 川は切り立った岩に挟まれた深い谷になっていて、橋の中央から見下ろすとちょっと恐怖を感じるくらいの高さがある。 そして、ふと足元を見てみると・・・「?」無数の小さな屋根が見える。

橋から水面までは30mもある

足元には小さな屋根が・・・

 

無数の屋根に支えられた猿橋

 橋の手前を左に降りると、橋全体を見渡せる展望台があった。 そこから眺めてみると、その奇妙さに驚かされた。 まるで古い日本家屋やお寺を想わせるような屋根が、重なるように設置された柱に付いているのである。 もちろん、その下に人が入れる空間などはなく、どうやらこの屋根は柱が濡れないように付いているようだ。

岸から横に重なるように伸びた柱に屋根が付いている。

下から見ると重厚な面持ちで迫力がある

橋の上からは屋根が邪魔でよく見えないが、太くて頑丈そうな柱が下で支えている

 何故このような構造なのかと言うと、あまりにも高い場所にあるため橋脚が建てられないため。 岸から柱を空中に向けて突き出して、その上に板を敷いて橋を造るしかないのだそうな。 この手法以外だと、吊り橋ということになるのだそうだが、吊り橋じゃないこの構造は「刎橋(はねばし)」と呼ばれ、江戸時代には他にも幾つもあったらしいのだが、今は猿橋以外には残っていない。 岸から横から伸びた柱が腐食すると大変なので、柱を守るために屋根が付いているという訳だ。 そういう機能的なところも面白いが、やはり何よりそのデザインが面白いではないか。

橋から望む美しい風景。そしてもう一本の奇妙な橋が・・・

 橋からの風景はなかなかで、深い谷とそこに吹く涼しい風がとても気持ちがいい。 谷の上には、車道の新猿橋が架かっている。 昔は新猿橋などはなく、もっと美しい風景だったのだろう。

切り立った岩と、深い河、青々と生い茂る木々が美しい。

 そして、反対側を見ると、また違った意味で奇妙な橋が架かっている。 これは八ツ沢発電所一号水路橋で、人が渡るためのものでは無く、橋の中を水が流れているのが見える。 一種異様な雰囲気を持った橋だが、実はこの橋は国登録有形文化財で明治45年に造られたこれまた古いもの。 猿橋とはまた別の意味で愉しませてくれる。

八ツ沢発電所一号水路橋。これまた奇妙。

日本三奇橋、そして名勝

 さて、この猿橋。 江戸時代から日本三奇橋として知られている。 日本三奇橋としては、この猿橋の他に山口県岩国市の「錦帯橋」がそれに挙げられ、もう一本は諸説ある。 徳島県西祖谷山村の「かずら橋」、栃木県日光市の「神橋」、長野県上松町の「桟(かけはし)」(現存しない)、富山県宇奈月町の「愛本刎橋」(これも現存せず)が候補に挙げられている。 現存するものはまたレポートしたい。

 猿橋の持つもう1つの称号が「名勝」である。 名勝とは日本の文化財指定の1つで、歴史上の価値の高い物や、芸術性、鑑賞価値の高いものなどに指定される。 猿橋は、昭和7年に名勝指定されている。

 やはり、名勝と呼ばれる場所は、日本人の感性を刺激してくれる。 こんな場所で、昔の日本人が行き交った情景を想像するのも愉しいものだ。

 

文/写真:松端秀明