新逆河内吊橋(無想吊橋) 高くて、恐くて、味わい深い。田舎吊り橋 田舎吊り橋18本目。静岡県逆河内「新逆河内吊橋(無想吊橋)」

田舎吊り橋18本目。静岡県逆河内「新逆河内吊橋(無想吊橋)」日本一恐ろしく、危険とされていた吊橋。

危険な廃林道をひたすら進む

前回の「天地吊橋」から千頭ダムに戻り、再び山ビルだらけの過酷な山道を登って日向林道に戻る。 ここからまたもや長い廃林道歩きとなる。 日向林道は一度延々と下って川のすぐ傍まで近付き、再び延々と登って行く。 相変わらず荒れ果てた林道には、「源平崩れ」と名前まで付けられた大きく崩れた斜面や、谷になった箇所から流れ落ちた小さい滝が、林道全体を南アルプスの天然水浸しにしていたり、あるいは落石によって転がり出た巨大な岩が大きく道に横たわるなど、危険が山のようにある。 恐ろしいことに、ツキノワグマの物だと思われる、大きい動物の糞も落ちていた。
そのような難所続きの林道を登って視界が開けると、そこには南アルプスの山々が広がり、素晴らしい景色が続いていく。 林業が盛んだった1970年代の頃に使われていたと思われる小屋が林道の少し下に見えたが、その人工的な建物を含めても、人間の気配は全く感じない。
そういった原風景を横目に蛇行する日向林道を進むと、目の前に信じられない光景が飛び込んできた。 深い谷のとんでもない高さに細い吊り橋が掛けられているのである。 これが今回紹介する「新逆河内吊橋」である。

無想と呼ばれる吊り橋

昭和51年に撮影された航空写真 国土交通省 国土画像情報(カラー空中写真)【ccb-76-18_c5b_2】より

日本でこれほどの吊り橋は他に残っていない。 数々の難所を越え、ようやくたどり着いた伝説の吊り橋。 私たちの目に映ったその衝撃は、はかりしれないものであった。 高さ約80メートル、長さ140メートルの景観はまさに圧巻。 遠くから見える光景は、もはや現実味すらなかった。 そして、素直に「感動」してしまっていた。

実はこの場所には嘗て「無想吊橋」という吊り橋があり、更にそれを渡った先にある小さな流れ込みである白沢を渡す短めの吊り橋が架かっていて、どれもとんでもない高さでありながら、針金と薄い板で作られた不安定な吊り橋であった。 無想吊橋とその先の白沢を渡す吊り橋は、1970年代後半には既に崩壊して渡れなくなってしまい、その3本の吊り橋の中で最も長く、高い位置に架けられたこの「新逆河内吊橋」だけが残ったのだ。 しかし、その名前のインパクトからか、残された「新逆河内吊橋」が今では「無想吊橋」や「新・無想吊橋」と呼ばれている。 川根本町や静岡森林管理署も「無想吊橋」と呼んでいるので、こちらが正式名称と言っても良いかもしれない。 こんな山奥に人知れずひっそりと残っていた吊り橋だが、2006年にテレビのバラエティ番組で日本一渡るのが怖い吊り橋として紹介されたために、一般にも知られることとなり、「夢の吊橋」や「門脇吊橋」などとは別の意味で有名な吊り橋となった。 しかし何故か「夢想吊橋」という誤表記が多く見られる。 「夢の吊橋」と混同してしまったのかもしれないが、古い資料は全て「無想吊橋」となっている。

「無想吊橋」と「新逆河内吊橋」の現状

日向林道の「新逆河内吊橋」全体が見える場所からよく目を凝らしてみると、嘗てこの場所にかかっていた本家本元の「無想吊橋」の針金だけがまだ残っているのが確認できる。 しかし、ここからは白沢に架かっていたはずの吊り橋の痕跡は確認できない。 3本の吊り橋が架かっていた頃の景観は是非見てみたかったが、今ではそれは叶わない。 「新逆河内吊橋」だけでも残っていたことに感謝しなければ。

さて、次は橋自体を目指す。 実は「新逆河内吊橋」と今は無き「無想吊橋」は日向林道から隣接して架けられている吊り橋ではなく、少し山道を下ったところから架かっている。 林道からの距離はさほどないのだが、ここは道が崩れてしまっていて相当危険なのだ。 ひとたび足を踏み外せば、そのまま80メートル以上下を流れる逆河内川まで滑落する恐れがある。 そんな激しく崩れた道のりを、四肢をフルに使って慎重に下って行く。 すると徐々に見えてくる2度目の衝撃!「新逆河内吊橋」の入り口である。

やっとの思いで入り口に着いた我々は、足下から順に橋全体の現状を確認。 そこで妙な違和感を感じる。 その違和感とは、普通の吊り橋にはありえないほどの『傾き』である。 入り口付近からまっすぐ橋を見据えると大きく左に傾いているのだ! これはあきらかで、橋を吊っているワイヤー自体も左側の方がたるんでいる。 ここから想像できるのは、人間が乗ると、この傾きは橋の中心に行くほどさらに増し、左側に転落するという可能性である。 そして入り口付近には腐った踏み板などの残骸が散乱している。 更によく見ると、吊り橋全体が激しく破損しているのが解る。 橋を支えるワイヤーや踏み板や横板を支える針金も完全に錆びてしまっているし、踏み板や支柱も相当に劣化して破損している。 こんな姿になりながらも、かろうじて原型を残したまま、殆ど人が渡ることもない中、一本だけ寂しく耐えていたのだ。 橋自体は「夢の吊り橋」や「猿並橋」、「天地吊橋」と同じく、細い踏み板を2枚並べた形。 よくもまぁ、こんな高さにこんな細い吊り橋を架けたものである。

慎重に渡ってみる

細い踏み板を慎重に確認しながら進む。 恐る恐る体重を預けるが、薄くて破損だらけの踏み板は全く信用できない。 実際、至る所に破損があり、2枚の踏み板の1枚や、2枚ともが完全に欠落している箇所も多数ある。 上半身を支えるために、手すりとなる針金を掴みたいところだが、極度に錆び付いたものが二本だけ。 吊り橋とつなげる支柱部分もところどころ外れたり、それ自体が倒れてしまったりと、グラグラしていてもはや空中を掴むくらいの手応えしかない。 これを手すりとして身体を預けるのは危険すぎる。

しかし行けるところまで、ということで足を進める。 そこからの景色は凄まじい。 あまりの危険から、ゆっくりと楽しむ余裕はないものの、深い谷の遥か下を流れる逆河内川の流れや、急な谷の光景が見たこともないような角度から目に飛び込んでくる。 それらはとても素晴らしく、とんでもない空中散歩になった。 気持ちを落ち着かせて下流方面をよくみると、少しだけ低い位置を何本かの針金が渡っている。 あぁ、これが今は無き「無想吊橋」の残骸だ。 「無想吊橋」と「新逆河内吊橋」を渡る姿をお互い見合うような光景が嘗てあったのかと想像すると、その光景の凄さに驚かされる。 当時は今のような劣化は無かったにしても、半端ではない高さと、不安定な構造。 とても無想(何も考えない)でなければ渡れない吊り橋なのだから、お互い笑顔で手を振るようなことはなかったであろう・・・。 「無想吊橋」が残っているということは・・・と白沢のほうに目を凝らすと「あった」。 僅かではあるものの、白沢の上にも何本かの針金が残っていた。

橋の4分の3程進んだ所には、大人の足でも三歩以上の距離の踏み板が欠落している箇所がある。 もう一度考えてほしい、高さは約80メートル以上、劣化が著しい吊り橋の、踏み板がない部分に2、3歩の間、数本の針金と僅かに残った横板の上に全体重をのせるのだ。 この橋を渡るということは、大げさでもなんでもなく、言葉通りの「自殺行為」なのだ。 これほどまでに放置され、劣化した吊り橋は人間が一回歩くたびに破損がリアルタイムで進行していく。 ただでさえ、踏み板を踏み抜いて落下することも考えられるのだ。 我々の取材の目的は吊り橋の雰囲気を伝えることであって、度胸試しをすることではない。 橋を渡り切ることは断念した。

もはや渡ることは許されない。伝説となった孤高の吊り橋。

しかし、この「新逆河内吊橋」は何故こんなところに架かっているのだろう。 実は林業が盛んだった1960~1970年代には、このすぐ近くまで千頭森林鉄道の逆河内支線が引かれていた。 そして、林業に従事していた作業員が、毎日のようにこの恐ろしい吊り橋を渡っていたのだろう。 この適当な造りは、建設コストを抑えるためだったのかも知れない。 林業が終わった後は、登山家がこの先の不動岳(2,171m)を目指すマニアックな登山ルートとして使われていたようだ。

今回我々が取材した、2009年秋と2010年の初夏には既にこのような状態であったが、2010年の7月1日より「通行止め」となり、正式に渡れなくなってしまったようだ。 通行止めにするのは当然ではあるが、これほどまでのレベルの吊り橋がただ劣化していくのを待つのは非常に残念である。 嘗てこの界隈には『高さ』『長さ』『細さ』ともにハイレベルな吊り橋が多数架かっていたという。 本家の「無想吊橋」やその先の白沢の吊り橋、そして寸又峡温泉の「夢の吊橋」のすぐ先にある飛龍橋(飛竜橋自体も嘗ては吊り橋であった)の脇から伸びる大間林道の先に存在した「無想吊橋」に匹敵する高さの吊り橋…。 そんな数々の死んでいった南アルプス深南部の吊り橋達の最後の生き残りともいえるこの「新逆河内吊橋」。渡ることは叶わなくなってしまったこのすばらしい吊り橋が、少しでも遠い未来に残ることを我々は願う。

記事:松端秀明/飯田澄人

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「新逆河内吊橋」最初に見える姿

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手前に見える「無想吊橋」の針金。かろうじて何本かが架かっている。

 
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少し近づいたところ。日向林道より。踏み板が欠落しているのが解る。高すぎてここからは川は見えない。

 
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メインワイヤーの固定部分。なんと自生している樹木を使って固定している。

 
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手前の土の上に腐って落ちている踏み板の一部。

 
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手前部分。橋全体は無数の細い針金で支えられてはいるが、針金、踏み板共に貧弱の一言。

 
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主塔の足下。かなり壊れているように見える。固定している針金やワイヤーも錆びて緩みきっている。

 
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手前より全景。長さも半端ではない。遠くから眺めたときにはあまり気にならなかったが、かなりたるんでいて、後半は上り坂のように見える。

 
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手前より、先の部分をズーム。こう見るとそそり立つ壁のよう。踏み板はめちゃめちゃに壊れている上に、左に大きく傾いているのが解る。

 
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更にズームして向こう岸の主塔。あちら側もとても貧弱そうに見える。

 
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吊り橋の下。踏み板もそうだが、横板も薄っぺらいのが解る。針金は結構しっかりと組まれているようだ。

 
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下から覗いた橋の中央部。たるみも気になるが、よく見ると外れた針金がぶら下がっているし、機能している針金もかなりヨレヨレの状態。

 
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渡り始めてすぐの踏み板欠落部分。下に生えている木の葉が吊り橋のところまで生い茂っているので恐怖心は和らぐが、ここから落ちてもまず助からない。

 
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橋の左に見える小さな沢が白沢。よく見るとその上に一本のワイヤーらしきものがまだ架かっているのが写っている。

 
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長年天日に晒された踏み板はカラカラに乾いて変形し、グニャグニャになっている。

 
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細い踏み板は隙間だらけ。手摺になるはずの2本の針金はユルユルの状態で力なく空中に浮かぶ。

 
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下流方面。遥か下に逆河内川が流れる。よく見ると上には「無想吊橋」の針金が複数架かっている。

 
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かなり下に背の高い樹木のてっぺんがある。

 
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下を流れる逆河内川。空中に浮いているということを実感。

 
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右側の手摺の針金が支柱から外れている。こういう箇所は弛みすぎて危険なので掴めない。この写真の右上にも白沢の吊り橋の針金が写っている。

 
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踏み板が外れて重なっている。1本分しかないのでとても細い上に、この部分の横板が腐って崩れている。腐っている横板はメインワイヤーから吊り下げられている部分なのだが、外れてしまっているのが解る。

 
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外れてしまっている針金。

 
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水面が遠い。

 
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上流方面。こちらは河川敷は見えるが木に隠れて川は見えない。

 
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下流方面に残る「無想吊橋」の針金。

 
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白沢の上に架かる崩壊した吊り橋の針金。右側は「無想吊橋」の針金。この2本の吊り橋は続けて渡れるようになっていたのが解る。

 
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再び手前から。これら3本の吊り橋がいつか修復され、登山道として活躍する日が来ることを切に願う。

 
高くて恐くて味わい深い。田舎吊り橋
Vol.17 静岡千頭「天地吊橋」
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